宗教と死生観

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「人はなぜ死ななければならないのか」「最後は死で終わる人生の中で、人は何をめざして何のために生きるのか」といった根本的な問いは、人間が自己意識をもつようになって以来、あらゆる時にあらゆる場所で問われ続けてきた。知識の蓄積と科学技術の進歩は、経験的・合理的な理解。制御の射程を格段に広げてきたが、「死」をめぐる問いの前に無力であることは、現代人も先史時代人もほとんど変わりがないものと思われる。

宗教はこうした問いに答えを与え、人々の不安を鎮めることで大きな役割を果たしてきた。説得力のある死生観を提示することは、宗教にとって不可欠の使命であった。しかしそれは人々に安心と慰めを与えるいっぽう、時として荒唐無稽な偽りの答えによって人々を惑わすものと批判されたり、現実の社会問題から目を逸らさせる「アヘン」(マルクス)として指弾されたりすることにもなった。現実の宗教組織が政治的、経済的な影響力を獲得するにつれ、本来の死生観や信念と矛盾する行動をとることも多かった。

今日の世界を見わたすと、先進地域の多くの国々で宗教離れの傾向が指摘されるいっぽう、イスラム圏などでは昔ながらの宗教的熱情をもち続けこれに従って行動する人々が多数あり、宗教をめぐる事情は地域と文化によってさまざまである。しかしどの地域においても、人々の死生観に対して宗教が与えてきた影響はきわめて大きなものであったし、今日でも宗教の影響を考慮せずに死生観を語ることは不可能に近い。

宗教と無縁の生活を送っているように見える現代人も、意識しないところでそうした影響にさらされているものである。自分自身を取り巻くさまざまな宗教の影響を見直してみることは、死生観について考えていくためのよい糸口になるものと思われる。



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